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「仕事はいくらでもあるが、沙知代は一人しかいない」追悼―野村沙知代さん

by て.いとう

きのう12月8日午後、ヤクルトの監督として黄金時代を築き上げた野村克也氏の妻・沙知代さんが都内の病院で亡くなった。朝までは元気だったが、容態が急に悪くなり、亡くなってしまったという。85歳だった。

野村克也氏がヤクルトの監督に就任したのは、1990年。万年Bクラスのヤクルトは92年に14年ぶりのリーグ優勝を果たすと、翌年には王者西武を破り日本一に輝いた。ヤクルトはまさに黄金時代で、僕は中学生だった。神宮は当然のように満員だったが、それ以上に、連日ヤクルトの選手たちがテレビに出た。いまでは考えられないくらい。野村監督を筆頭に、古田、池山、高津、ギャオス、一久などみんな人気者で、歌もうまく、テレビに引っ張りだこだった。しかし、そのなかで、最もテレビを賑わせたのはサッチーこと野村沙知代さんだった。

95年にはイチロー擁するオリックスを破り、97年には首位を一度も明け渡さない完全優勝。躍進を続けるヤクルトと共にサッチーは連日、テレビが喜ぶ話題を振りまいた。ゴールデンタイムでは、ご意見番の熟女タレントとして。ワイドショーでは、学歴詐称疑惑やミッチーこと浅香光代とのバトル。当時、愛読していた『TVブロス』における若き日の爆笑問題・太田光のコラムがあるのだけど、そこで太田光が「サッチー騒動は、いつの間にか始まってしまった集団のいじめではないか」と書いていたのを覚えている。

大学時代、僕は自宅からの最寄りが東京駅で、毎朝通学に使っていた。当然、芸能人を見かけることが多いのだけれど、ある日サッチーが事務所スタッフと思われる若い男性を数人引き連れて歩いているのを目撃した。サッチーが先頭を歩き、男たちが付いていく様子は、なんだかダース・ベイダーみたいだった。迫力がすごい。

野村監督は、南海時代に沙知代さんが運営に口を出しすぎる公私混同という理由で1回。阪神監督時代には、沙知代さんの脱税事件で、合計2回も監督を解任されている。後に、野村監督は「世界中探しても、女房のせいで2回も監督をクビになったのは、私だけだろう」と述懐している。

しかし、野村監督は、ただの一度も沙知代さんの悪口や、不満を口にしたことがない。

僕の家族は、祖父・祖母を含めてみんな巨人ファンだった。巨人は、相撲で言えば横綱と同じで、その選手たちは一般では理解できない生活をして、神聖で、一流タレントと同等の知名度を持っている。そんなスタープレイヤーのホームランと圧倒的な完投劇こそが、野球の醍醐味なのだと思っていた。

でも、そんな価値観を野村ヤクルトはひっくり返してくれた。相手の作戦や考えに思いを巡らせ、正攻法と奇襲を繰り出す。知恵を絞ることで、弱者は強者に勝てるのだと野村監督は訴えた。錆びついた折りたたみ自転車で神宮と練習場を行き来するような生身の選手たちが、巨人の選手たちよりも人気者になっていく。これまで誰もなし得なかったことがついに達成され、プロ野球の醍醐味を教えてもらった。野村監督の数多い名言は、いまも金言として野球観戦だけではなく、仕事や私生活の様々な場面で道を照らしてくれる。

そんな、野村監督の言葉で、最も好きなもののひとつが、「仕事はいくらでもあるが、沙知代は一人しかいない」だ。女を取るか、野球を取るかという二択を突き付けられた南海時代、野村監督が言い放った言葉だ。

いつの時代も、世の中は配偶者や恋人の不満でいっぱいだ。悪口を言えば言うほど、「そんな人と付き合っているのはあなたでしょ」と思われて、結局は自分の値打ちが下がっていく。

最も愛した人がこの世を去ってしまって、野村監督はさぞ気落ちしていることだろう。年を取ったせいか、例年よりも今年の冬は寒く感じる。監督退任後も、沙知代さんは野村監督に積極的に仕事をさせるようにしていた。のんびりさせるよりも、仕事をさせる方が野村監督が元気に暮らせると知っていたからだろう。沙知代さんが天国から、「あんたはまだ休むには早い」と野村監督に睨みをきかせてくれますように。


て.いとう
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